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電灯off

2010/10/10

今日は碧南の町のほとんどで祭礼が行われていた。

地元 大浜・上区の 鎮守 熊野神社でも

祭礼が行われて、交通指導(整理)で出動させて

いただいた。

別に村の鎮守の祭礼の話をするつもりは無いのですが

夜になっても花火の音が聞こえてきます。

さて、私たち真宗門徒が命を終えた後 参らせてもらう

  浄 土

と言う世界は、光の世界にたとえられています。

最近、仏教で言う光のことについて考えるに

いま住んでいる娑婆世界の無明と対比されるが

この娑婆世界は暗い光の無い世界なのであろうか?

阿弥陀さまは 無碍光となって私に届いているそうですが

無碍と言うことは、障害物に邪魔されないと言うことで

この世でも光に照らされているはずなのに、なぜ

暗いのでしょうか??

仏典に 疑網 とか 疑蓋 と言う言葉が出てきます。

これらはかなり強靭なはたらきがあるようで、

無碍光を遮断できるようです。

自分の姿(正体が)余りにもお粗末なので私たちは

光に遇うのが怖くて、この擬網や擬蓋を使い

光の照射を避けているようです。

常に無碍光の電灯を off にしているのは自分なのか?

心の中にある、スイッチを on にするだけなのに

それがなかなかできません。

たまに寺で 法話 を聞くと そのはたらきで

スイッチが on になることがありますが。本堂で

頭礼(ずらい)をして、首にかけていた略肩衣を

外すと、とたんに off 状態に戻ってしまいます。

信楽受持甚以難

難中之難無過斯

信楽受持すること、はなはだもって難し

難の中の難、これに過ぎたるはなし

確かに一瞬 信を受けることはできても

この世に生きている限り、それを保持し続ける

ことは、出家して山にでも篭らなけらばできそうに

ありません、でもこの一瞬の 信 を受けたか

受けないかが、門徒であるかそうでないかの

違いなのかも知れません。

それを 何度も思い出すために 聞くことが

欠かせないことでした。

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