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2010元気塾 その2

2010/9/16

どうでもいい話だが タイトルを入力するとき

げんき とするところを がんき

と間違えたら 変換した文字に

顔輝塾 

と出てきてしまった。げんき とも読める

すこし前に書き込んだ

光顔巍々

を生み出す 塾としては この名前も正解か?

さて、班別座談には 一斑の門徒助言者という

役向きを仰せつかった。

毎年4班に参加者を分けるが、数年前から

初めて参加される方だけの班を作ることにした。

その班が 一班 である。

これは 仏教(真宗)に余り馴染みの無かった

方と何十年も聴聞されてきた方とを同席させると

どうしても専門用語が飛び交い、初めて参加の

方が面食らって、来年から来なくなるという

反省から考え出された。

さて、講題の「家に内仏があるのは なぜ?」

のお話を聞いての座談であるが、自己紹介と

家に内仏が有るかを、答えてもらうことにした

ところ、ほとんど内仏を置かれているようだ。

その中で、20代(?)の若い女性が 

「仏壇はないけど、

  お花や仏供をそなえてお参りしている。」

といわれた方がいた。あまりよく考えずに

助言者として

「三つ折ご本尊 というものが有るので

   それを求められ、置かれたらどうですか」

と教科書どおりの助言をしてしまった。

その後、会を終えてスタッフでの反省会で

他の班から、仏壇(内仏)のない方が 昨年の

法語カレンダ-を貼り、それに向かい

お勤めをしている。との報告があった。

ある住職は、

「近くの本家に内仏があるなら

       そこに行ってお参りした方が良い」

と云われた。これは正論である。

しかし、よく考えてみれば、本尊は はたらき

なので、色も形も無いものである、

本尊軸の裏に

方便法身尊形

と有るように、法身 を感じるために

形どッた 手立てなのである。

とかく、私たちは 形がないとなかなか感ずる

ことは出来ません。感度が鈍いので

文字にしても 感じられないため 絵 にして

それでもまだ という人のために 立体の

木像(金属、石もあり)している訳だ。

ところが、この女性は 対象 が無くても

お参りができるのである。

理由を聞いてみると 

「親や祖父母がしていたので」

ということだった。親御さんや祖父母の願いが

はたらきとして生きているわけだ。

仏壇が有ってもお参りしない人が増える中

有り難い話を聞かせていただいた。

反面、講師の先生から渡された資料に

こんな 笑えない事例が紹介されていた。

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東京のとある住職に聞いた話です。その住職が

あるアパートに盆参りに行かれた。その家は

家庭事情から、お内仏(ないぶつ)がテレビの上に

乗っていたそうです。それはそれで仕方のないこと。

全く問題ありません。その住職が、

「お参りを始めるからテレビを

   消していただけませんか」と言ったところ、

その家の人は「今、テレビを消せないんだ。

    御住職、悪いけど一人で拝んでくれるか」と。

 盆参りの時期は高校野球の真っ最中。

その時やっていた試合が接戦で、どうしても

見逃したくなかったんだって。

 仕方ないからその住職さんは、そのままお参りをした。

そこに居る人はみんな同じ方向を見ている。

つまりご住職は上のお内仏を拝んでおられるけれど、

家人は下のテレビを観ているという、奇怪な風景が

そこにあったそうです。
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これまででは無いにしても、月参りに坊さんがきいる

のに、家にいながら仏前に集合しない人は多いのでは

すこし前までは 朝晩のお勤めは 門徒必須の

日常行事だったはずなんですが・・・・・・・

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