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和讃に騙されるな?

2010/8/23

2010

昨日は 赤羽別院の暁天講座が開催された。

講師は作曲家の 平田聖子さん

いつもながら、たまに難しい仏教用語をさりげなく

散りばめて、優しくお話してくださった。

日中とか夜の法座で話されるときは、ご自分で作られた

和讃の曲の歌唱指導などをされて、音楽が中心と

なるが、今回は早朝ということでお話の割合が

多かったようだ。

Photo

そのお話の中で

子の母をおもふがごとくにて

衆生仏を憶すれば

現前到来とをからず

如来を拝見うたがはず

という御和讃を黒板に貼りだされ

「騙されてはいけませんよ!」

と云われた。早朝で慢性寝不足で意識朦朧の

状態で聞いていたので、その意図を聞き逃して

しまいました。いつかお会いしたときに尋ねて

みることにします。

そう云われて、改めてこの御和讃を読んでみると

確かにおかしい表現であります。

最初の行を 

「子供が母親をおもうように」

と理解すると私の場合は 母親への思いは

私の都合でコロコロ変わります。常に自分にとって

有り難い か そうでないかで思いは180度違い

ます。そうなると如来を拝見できたり 出来なかったり

します。

もっとも、生まれたばかりや、ごく小さかったときは

常に親子は向かい合っていたようです。

気になったので、この和讃の事を書いたブログや

HPをいくつか読んで見ましたが、どうも納得いくような

ものがありません。

もう少し、考えて再度書き込みをすることにしましょう。

そういえば、知り合いのブログに同じく暁天講座を

聞かれた方が、境内で

「私は こういうお話がききたかつたんだ」

と云われて喜んで帰っていかれたとかいてありました。

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