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一念 と 差別心

2010/3/15

読み忘れていた古い本願寺新報が帯の付いたまま

発見されて、勿体無いことをしたと帯を切ってよんだ。

連載中の

いまから読もう レッツ 正信偈

を読むと、今回は

  能発一念喜愛心

  不断煩悩得涅槃

の解説だ。ここに 一念 とは

はじめて信心のおこったとき

とある。つまり ファ-スト回心 ということだそうだ。

もっとも、回心は一度だけだと親鸞聖人は言われて

いたようなきもするが・・・

この用語解説をよんで、信心 と 差別心 は

よく似ていると思った。

つまり、信心が始めて起こると、それ以後は言葉では

うまく言い表せないが、自分が変わってしまう。

同じく、差別心も今までなんとも思わず日暮ししていたものが

ある事を知ってしまったばかりに、差別する心が起こり

それ以後は、差別してなかった心にはもどれない。

こんな事を今日思ったのは、BSで

「シンドラ-のリスト」

を夜明けまでかかってみたからのようである。

この映画は ユダヤ人とドイツ人の問題である。

以前学生のときに好意をよせた女性に在日韓国人の

女の子がいた。また、わが社の仕事を手伝ってくれて

いたひとに、同じく在日の方がいた。いまも親しくお付き合い

させてもらっているが。その事実を知る前と知った後では

やはり、自分の意識が変わってしまっている。

同じく、信心が起こった(プチ信者かも?)あとはそれ以前

とは意識がちがうのである。

この両方とも、知らずに居たほうが楽なのである。

できれば、石鹸を一箱ぶち込んで洗濯機で洗い流し

たいとも思うが無理な話である。死ぬまで

差別心に悩み、信心に苦しむことであろう。もっとも

信心が無ければ差別心に悩むことはないのかも・・・

それにしても、くだんの在日の女の子(今はオバさん)

はいまどうしているのやら???

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