院 vs 院
2009/10/22
8日間の入院を終えて、連れ合いが帰ってきた。
入院していた、隣町の市民病院は、行く度に
その人の多さに、ビックリさせられる。
朝・電話で「退院の時刻が早くなったので
10時過ぎに迎えに来てください!!」
と弾んで、明るい声での呼び出しである。
応えて
「家に帰りたいの?そこに居たほうが
仕事もしなくてすむし、姑さんの顔も
見なくて済むよ!」
と言うも、やはり、家の方が良いそうである。
話がそれてきたが、
人が多いということは、病人が多いという
ことで、病気を治して長生きしたいと思って
いる人ばかりと推察する。私もその立場に
なれば同じであろうし、連れ合い殿も同様で
失明したくないので、手術を受けて視力を
回復したようである。
同じ 院 という文字のつくところの
寺院の方は、最近訪れる人が減少しています。
先日終わった、別院の報恩講でも、30年も
前には満堂のお参りがあったであろうが、
いまでは、残念ながら、かなり減少している
ようである。
前にも書いたが 高光大船 さんが
「飯を食って 働いているのが生きている
というのなら、柱時計も生活者である。」
といわれていたことを思い出す。
本当に 生きている 人になるために
これから始まる 各寺院 の報恩講に
お参りして まず 聴聞 をいたします。
私は
生意気にも、ブログランキングに参加中
上のバナ-をクリックして、応援乞う!
| 固定リンク
« 拙句 | トップページ | たまには グルメ を »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 来て!!来て!!(2010.01.06)
- 六十肩(2010.01.05)
- ずぼら荘厳(2010.01.02)
- 手抜きして 案内させてもらいます(2009.12.30)
- たたみ一畳に8人(2009.12.27)


コメント
JJSGさんこんばんは
ご和讃や聞書がすット出てくるのがすごいですね。
聞法は問法と言われますが、なかなか問になるような聞き方ができません。
私も縁を求めて聴聞させていただきましょう。
投稿: 釈破旬 | 2009年10月28日 (水) 04時30分
こんにちは。
以前、祖母から聞きました。
「昔は、お寺によくお説教を聞きに行ったけど、最近は、すっかり御法話のご縁がなくなってしまった。。。」
とても残念なことです。
仏法は聴聞に極まる、と教えてられますから、聞いて聞いて聞き抜かないとダメなんですよね。
「たとひ大千世界に
満てらん火をも過ぎゆきて
仏の御名を聞くひとは
ながく不退にかなうなり」(親鸞聖人)
「至りて堅きは石なり、至りて軟なるは水なり、水よく石を穿つ。『心源もし徹しなば、菩提の覚道何事か成ぜざらん』といえる古き詞あり。いかに不信なりとも、聴聞を心に入れて申さば、御慈悲にて候間、信を獲べきなり。只仏法は聴聞に極まることなりと云々。
(蓮如上人御一代記聞書193)
私もご縁を求めて、聴聞させていただきたいと思います。
投稿: JJSG | 2009年10月24日 (土) 12時44分