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おぶくさん

2009/6/19

お仏飯シリ-ズの第二弾です。

我が家ではおぶくさんと呼んでいますと先回書きました。

これはたぶん お仏供飯(ぶつくはん)を優しく丁寧に

さんを付けて呼んだものと推察いたします。

東本願寺では、円錐形の上を切断(断面が台形)したような

形状の おぶくさん をお供えします。

これは、仏教で花と言えば 蓮 ですので、その蓮の実

を形どったものだと云われています。蓮の実をご存じ

無い方は今度、蓮の花を見るときは 花の中心に

みどり色のぼつぼつのある実が有りますので、ご覧

下さい。その花が枯れると、その緑色のものが

茶色にむき出しになりますので、枯れた方がよく見える

と思います。この実は食べられるそうです。

残念ながら、私はまだ食べたことは有りませんがね。

一方、西本願寺さんでは おまんじゅうのように

こんもりとした おぶくさん をお供えするようです。

こちらは 蓮の花 を形とっているそうです。Photo

ちなみに、 蓮の実の形をどのように作るかと言うと

このような道具を使って、ところてんのように押しだします。

名付けて  盛槽

蓮の花の形はどのようにしているのでしょう??

また、おぶくさん はいつ供えて、いつ下げるのかも

知りたいところですが、私が聞いたところでは

朝、お朝事(あさじ・・朝のお勤め)の後に供えて

お昼に下げるのが決まりとのことです。

これは、お坊さんが 朝 本尊の前でお勤めを

してから、托鉢に回り、鉢に食べ物などを布施して

いただき。昼前に寺に帰る生活をされていることを

倣っているようであります。

もっとも我が家では、ご飯を炊いたときはお供え

しています。しかし、これも聞いた話ですが

朝、ご飯を炊かない(経済的理由で炊けないことも)

ときでも、おぶくさんだけはお供えしなければいけないので

一合炊きの釜を使って、わざわざ炊いていたそうです。

仏さんを 大切にされていたんですね~ェ

先日、朝に おぶくさん をお供えした時に

阿弥陀さんの前にお供えした おぶくさん から

湯気が上がり、す~っと 阿弥陀さんが

吸い込まれたように見えたことがあります。

「ありがとう、銀しゃり は 

          おいしいね~」

と云われたような気がします。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

junさん 今晩は
いつもいろいろ教えていただき有り難うございます。
飲む ですか そういえば 正信偈の勤行本に
ノ とか ワル という文字が付いています。
ノは飲む ワルは割る だと教えていただきました。

投稿: 釈 | 2009年6月23日 (火) 23時34分

オブック・オボクサンに付いての思いつきの私見を述べます。
御仏供については「オブック・オブク」の二通りの読みが現在行われている。元々の漢字の字音は「オ・ブツ・ク」となります。「ku」の前の音は促音になるのは普通である。一方音声学とは異なる「飲む」という慣用音も想定可能である。その「飲む」の実例が「オブク」である。仏教ではこの「飲む」実例としては「念仏」が「ネンブ」となるが、「ネンブ」が促音変化を要求する音の前にあるものは今は「ネンブット」以外は思い出せない。ネット検索でも「オブックマイ」「オブクマイ」の二つがある。
「オボクサン」は「オボクサン」から派生した音と考えられる。「O-BU-KU-SAN」の最初のオが第二音節に影響し「O-BO」となることは不思議な現象ではなくごく自然な変化である。

投稿: jun | 2009年6月22日 (月) 11時43分

「おぶくさん」とか「おぶっくまい」とか驚きです。こちらでは「お仏飯」もしくは「おっぱん(さん)」でしょうかね。地方により違うんですね。県民SHOWみたいにいろんな地方の呼び方を研究したらおもしろそうですね

投稿: 凡愚 | 2009年6月22日 (月) 08時57分

junさんこんにちは
仏供飯に付いてはそれそれの方にいろんな思い出が有るようですね。私たち年配者は 白米が貴重だったので
喜んで食べていたようですが、少し若くなると、嫌いだったという人が多いようです。今の子供の多くはその存在や言葉さえも知らないかも知れませんね。
お仏供米ですか・・ズ-ット昔は米がお金の役割を果たしていたので、寺への志をそのようにしていたのでしょう。実態の有るもの、とりわけ食べ物が貨幣の役割を果たしていると言うのは健全な経済なのかも知れません。
米国が金本位制(兌換)を廃止してから、投機筋の暴走が始まり、今の状況になってしまいました。いまやお金は現物を遙かに超えた量が存在し、電子上で瞬時に莫大な量が移動しています。そろそろ足かせを履かせないと
取り返しのないことになるような気がします。
西本願寺の門主さんは、門徒さんに「仏壇の無い家は
簡易なご本尊でも是非お迎えした欲しい」と云われていました。長野に住む長女に持たせた「三つ折り本尊」も
アパ-トで埃をかぶっているようですが、それでも、たまにお勤めをしているようです。無いと絶対しませんからね。

投稿: 釈破旬 | 2009年6月20日 (土) 18時04分

平野さん ホントにご無沙汰いたしております。
海からのメッセ-ジとたまに思い出したように読ませていただいたおります。100円ショップの段にコメントをしようと思いつつ、なかなかメ-ルが書けずにいました。またおいで下さい。委細文(ではなくて、メ-ルをいたします)

投稿: 釈破旬 | 2009年6月20日 (土) 17時17分

おぶくさまですか!
久しく忘れていた言葉を思い出させていただきました(~o~)
黒部では「おぼくさま」と言っていますね(~o~)

朝に備えて、昼か夕食に下げて食膳に上ります。
子供のときはこの少し詰って硬くなったご飯が好きでした!

実家では今も毎朝供えておりますが、東屋には仏壇もありませんで、「おぼくさま」には久しくお会いしていません(ーー;)

こんな者でも上人さまやご先祖は笑って赦してくださるのでしょうかね(~o~)

投稿: 黒部の平野です | 2009年6月19日 (金) 09時19分

御仏供米と書いて生まれ故郷では「オブックマイ」と称していました。法要が勤修される前にお寺に届ける習わしでした。また、報恩講の時は、「オボクサン」を作るための容器は特別でした。木製で4,5枚の板を組み合わせると形状が蓮形に成り、その上で金輪で締め付けるモノでした。これは年代を感じさせるものでした。前回「オブクサン」と書きましたが、幼児期には「オボクサン」と呼んでいたような気がします。その方が発音しやすかったのかも知れません。

投稿: jun | 2009年6月19日 (金) 08時04分

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