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2009年6月

田園流・太極拳

2009/6/28

昨日&今日と 田んぼの 田の草取りの作業を2時間/日

行った。温度計は30の文字を通過し、かなりの高温多湿

状態であったが、田んぼに張られた水が蒸発するので

気化熱を奪い、意外と涼しい環境であった。

     しか~し

腰痛と筋肉痛が襲ってきた。泥の中に足をつっこんで

少しでも手の届く面積の草を取ろうと欲張るので

まるで、静かな動きなれどかなりの運動量のある

太極拳をしている感じである。と言っても太極拳など

一度もしたことがないけどね。

日頃の運動不足に加え、普段使わない筋肉を

使い、転倒しないように気も張っているので

たった2時間の作業で、ぐったり状態になって

しまった。

農作業はいまではかなり機械化されて、辛抱して

作業をすると云うことは減ってきて居るであろうが、

子供のころ、母親の実家の田植えと稲刈りに

猫の手よりましな働き手として、イヤイヤ強制動員

されていたが、そんなものは米作りのごく一部で

収穫までの間に、延々と気の遠くなるような

草取りという作業が行われていたことを、この年に

なって、半分趣味で稲作をしてみて、思い知らされた。

ご飯粒一つでも拾って食べさせられた理由も

今となっては 納得デス!!

日本人の我慢強い性格は、こんな作業を縄文時代から

続けてきたからなので有ろうか??

義務教育の中のどこかの学年の半年を掛けて

最初から最後まで稲作を経験させると良いのではないか

と思う。卒業して永久に使用することも、知らないでも

なんの不都合も無いような知識を、詰め込むより

遙かに人生に有意義であるような気がします。

疲れや筋肉痛が何日も抜けない世代ですので

いつ回復することやら・・・・・・・

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二つの 砲座 ではなくて 法座

2009/6/25

ほうざ と入力して 変換すると 砲座 という文字が

我がパソコンは表れる。法座という選択肢は無いようだ。

ここで、高光大船 さんを思い出した。師は 官吏(公務員)

から、仏法とは何だ? と問われ。

「鉄砲のあべこべのものだ!」

    (唯一 仏法だけが人を生かす道・・・)

と答えられたそうです。重ねて官吏殿は 死者とはどんな者?

と問います。師は言下に

貴下のような人間のことですよ」

と云われ、官吏殿は 私は生きてますと 激怒されたそうです。

更に追い打ちをかけ 師は

「飯を食って立ち働くのが生きて居るのなら、

   柱時計も 生活者である。」

と厳しい言葉をあびせます。

-------------------------

かなり脱線してしまいましたが。さて 二つの法座です。

一つは 島根の淺原才市さんの町のS寺の

    「百人会」

  あなたが座れば 101人 

と毎回(25回も継続中)御自分にノルマを課して

開催されています。選挙でも有りませんが

電話作戦も駆使されている模様で、

都合が悪いと返事をされる門徒さんに

「今回ご都合がつかず残念ですか、報恩講は?

それも駄目ですか・・、毎朝お朝事が勤まりますので

それなら、いつかはご都合が付くでしょう・・」

と追求の手(声)は、まるで 阿弥陀さまが

逃げる衆生を追いかけてでも救いとるごときです。

その思いが通じて、今まで一度も100人割れした

ことが無いそうです。

もう一つの法座は ところ変わり兵庫県N市J寺さん

こちらは、民家二階が本堂になっている小さなお寺

法座を開けば、お参りが多すぎて(若い人多し)

一度に座ることができず、二部制で法座を開かれるとか

住職曰く

「どうぞ、だまされたと思って一度参って下さい。

  もしも、参って損したと思うことがあれば、

交通費返すから  とにかく お参り下さい」

と云ってお誘いしているとか。

残念ながら、この二つのお寺でお話を聞く機会を

まだいただいていない。いつか、きっと

前出の 官吏どののようにならない内に・・・・・

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无 と 元

2009/6/23

本日は 組(真宗大谷派の寺の集まりの最小単位)の

壮年対象の 夏期 真宗講座 が開催された。

176席の椅子が用意されたが、満席となり、住職方は

立ってのご聴聞となった。講師の先生は

同朋新聞で 正信偈の連載を6年以上続けてこられた

古田和弘・九州大谷短期大学名誉教授であった。

お話の内容については、いずれ記す予定として。

お話終了後の クエスチョンタイムに ある門徒さんが

会場に掛けられた、名号軸を見て質問された。

「その掛け軸の名号の 南無阿弥陀仏の無の字に

 元 の字が使ってあるのは、どうしてですか?」

と質問された。シッタカブッダの破旬壮年は

思わず「あれは  じゃなくて (無)だよ」

とつぶやいてしまった。しかし、よく考えてみると

お寺での勉強の機会を沢山もらっているから

そんな 字しり顔 ができるだけで、そうでなければ

私も  と読んでいたでしょうし、もっと悪く

疑問にさえ感じなかったかも知れません。現に

帰宅後、家族で夜中の勤行をしたあとに、

意識的に 蓮如上人御一代記聞書 の順番を

遡り、23番(お西では 24番)を拝読し、少し家族で

話し合ったところ、我が連れ合い殿も

「会場に入って、名号軸を見たときに、なんで

あんな文字が使ってあるのか、解らなかった」

と仰っていました。彼女の場合は展覧会や寺への

お参りの機会に   の字を使った名号軸を目にして

いるはずなのですが、今まで何の疑問も持たなかった

ようであります。人間見ているようで見えていないことが

多いようであります。いずれにしろ、今日会場にいた方の

多くは 无  の字は む(無)とい読むことが了解できた

のでは無いかと思います。疑問を口に出すことも

    聴 聞

の一部であることが、知らされました。

聞書を参考までに引用しておきましょう。

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「<南無>の<無>の字を書くときには、親鸞聖人の

書き方を守って、<无 >の字を用いている」と、蓮如上人は

仰せになりました。そして「南无 阿弥陀仏」を金泥に写させて、

それをお座敷にお掛けになり、「不可思議光仏という名も、

無碍光仏という名も、ともにこの南無阿弥陀仏の徳を

ほめたたえた名である。だから、南無阿弥陀仏の名号を

根本としなさい」と仰せになりました。

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おぶくさん

2009/6/19

お仏飯シリ-ズの第二弾です。

我が家ではおぶくさんと呼んでいますと先回書きました。

これはたぶん お仏供飯(ぶつくはん)を優しく丁寧に

さんを付けて呼んだものと推察いたします。

東本願寺では、円錐形の上を切断(断面が台形)したような

形状の おぶくさん をお供えします。

これは、仏教で花と言えば 蓮 ですので、その蓮の実

を形どったものだと云われています。蓮の実をご存じ

無い方は今度、蓮の花を見るときは 花の中心に

みどり色のぼつぼつのある実が有りますので、ご覧

下さい。その花が枯れると、その緑色のものが

茶色にむき出しになりますので、枯れた方がよく見える

と思います。この実は食べられるそうです。

残念ながら、私はまだ食べたことは有りませんがね。

一方、西本願寺さんでは おまんじゅうのように

こんもりとした おぶくさん をお供えするようです。

こちらは 蓮の花 を形とっているそうです。Photo

ちなみに、 蓮の実の形をどのように作るかと言うと

このような道具を使って、ところてんのように押しだします。

名付けて  盛槽

蓮の花の形はどのようにしているのでしょう??

また、おぶくさん はいつ供えて、いつ下げるのかも

知りたいところですが、私が聞いたところでは

朝、お朝事(あさじ・・朝のお勤め)の後に供えて

お昼に下げるのが決まりとのことです。

これは、お坊さんが 朝 本尊の前でお勤めを

してから、托鉢に回り、鉢に食べ物などを布施して

いただき。昼前に寺に帰る生活をされていることを

倣っているようであります。

もっとも我が家では、ご飯を炊いたときはお供え

しています。しかし、これも聞いた話ですが

朝、ご飯を炊かない(経済的理由で炊けないことも)

ときでも、おぶくさんだけはお供えしなければいけないので

一合炊きの釜を使って、わざわざ炊いていたそうです。

仏さんを 大切にされていたんですね~ェ

先日、朝に おぶくさん をお供えした時に

阿弥陀さんの前にお供えした おぶくさん から

湯気が上がり、す~っと 阿弥陀さんが

吸い込まれたように見えたことがあります。

「ありがとう、銀しゃり は 

          おいしいね~」

と云われたような気がします。

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仏飯を食べて育つ

2009/6/18

手次寺の若院さんが、以前、こんな法話をしていた。

「おばあちゃんがいつも、私たち(5人兄弟)に

「あんたらは、お仏飯を食べて育ったんやからね」

と口癖のように云っていました。」 

さてさて、おばあさんは何が言いたかったのでしょうか?

当然、法話では語られていたはずですが、覚えていません。

昨日、有る方のブログに お仏飯(ぶっぱん)の記述が

有ったので、コメントを入れた縁で、この若院の法話を

思い出した訳です。

その寺では、門徒さんが作られたお米が、お供えととして

寺に届けられ、それで仏飯を炊いて見えるようで、ご本尊

にお供えされる(若院さんの役目らしい)まで、いろんな

方々のお世話により成り立っていることが書かれていた。

確かに、米 と云う文字からも 八十八の手間が掛かる

という意味があるそうなので、なにごともいろんなお陰

で存在することを教えられますね。

少しこじつけ気味ですが。お仏飯と一緒にお香が焚かれます。

我が家は通常は線香ですが、その香りがかすかに仏飯に

移ってしまいます。以前は、そのお下がりをそのままの

形で、冷えた状態で食べていましたが、最近は電子ジャ-

が有りますので、戻して暖めて他のごはんと混ぜて

食べてしまいます。家族全員でお下がりをいただいて

いるわけです。

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染香人のその身には

香気あるがごとくなり

これをすなわちなづけてぞ

香光荘厳とまふすなる

-----------------------

かすかに香のかほりのするご飯を、毎日食べていると

この和讃に有るような、染香人になれるような気も

しますので。有り難く毎日いただくようにいたしましょう。

我が家では、このお仏飯のことを おぶくさん と

呼んでいます。

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阿難尊者 二度起つ

2009/6/11

毎晩、お勤めの最後に拝読して、みんなで味わっている

蓮如上人ご一代記聞書

に 懈怠 と言う言葉が出てきた。現代語訳には

おこたり なまける 

こととあります。これを読んでいて。赤羽別院(愛知・一色町)

で聞いた。池田勇諦師の報恩講和讃のお話を思い出した。

師のお話に、 阿難尊者が大無量寿経の中で 二度起つ

場面がでてきます。

一度目は 釈尊があまりにも嬉しそうなお顔をされているので、

思わず自発的に立ち上がり、その理由を問います。

二度目は、釈尊に命令されて立ち上がります。

佛告阿難 汝起更整衣服 合掌恭敬 禮無量寿佛

仏、阿難に告げたまわく、「汝、起ちて更に衣服を整え

合掌恭敬して、無量寿仏を礼したてまつるべし・・・」

二度目に起ち上がったと言うことは、

自発的に立ち上がったが、いつの間にかまた座り込んで

いたということです。なぜ座り込んでしまったのか?

師は 「懈怠 していたからだ」 と 云われます。

釈尊のお弟子の中で、一番熱心に聴聞されていたと

云われる 阿難尊者 ですら、懈怠して釈尊から

とがめられて見えるのですから、私などはほとんど

懈怠していて、ごくたまに立ち上がるばかりです。

こんな 私 でも大丈夫なんでしょうか??

蓮如さんは

懈怠おおう(多)なるものなれど、御たすけは治定なり。

ありがたや、ありがたやと、よろこぶこころを、

他力大行の催促なりともうす

と云われています。ちょっと安心いたしました!!!

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みてござる

2009/6/9

今朝、母親が毎日好んで見ている

  「暴れん坊 将軍」

をチラット見ていたら、大店の材木問屋 4人が

公共工事の 用材 の 入り札(いりふだ)の

金額を1万両でその内の一人が落札するとの

談合をする場面が流れていた。

江戸時代 も 現在 も同じ構造になっているようである。

その四人がそれぞれ250両ずつ出し合って、予定入札金額

をウラで教えてくれた、幕府の重臣に 賂(まいない)を送る

とも話し合いがされていた。

談合 というと 現在は 悪い意味でのみとらえられているが

蓮如上人は 寄り合い・談合をするように、門徒衆に

勧められている。真宗で云う 談合とは

門徒や寺族が平場で話し合い、お互いの受け取りを

点検、軌道修正する場のことである。それはさておき

問題は、その談合の行われていた場所である。

テレビでは、何とお寺の本堂の ご本尊の前であった。

後ろに金ぴかの仏像の足が写っていたので、我が派の

寺で有ろうか? そのあと 吉祥寺 という言葉か聞こえたので

たぶん違うでしょう。

悪事を 仏さんの前で話し合う神経は如何に??

名古屋の大谷派の別院に

     みてござる

と刻まれた、大きな石碑があります。ひとのすることを

すべて仏さんが見ていますヨ と云うことでしょうか。

とりわけ、悪いことをするときは 戒めとなることばです。

思いとどまることも出来ましょう。

「お天道様が見てるよ」 と子供のころ、親に言われた

こともありました。

当然、悪いことばかりを みてござる ばかりでは

ないでしょう。嬉しいときには「よかったね!!」と

悲しい時には 無言で寄り添っていてくださるかも

知れません。

後で解ったことですが、談合の会場に  を

選んだのは。当時 寺社 は 町奉行・大岡越前守の

管轄ではなく、寺社奉行の管理下で、町奉行の

追求を逃れるためでした。

最後まで見ていませんが、 仏さんの

バチ が 当たったことでしょう。

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病は気で治す?

2009/6/5

先月末より、入院中の連れ合いが本日退院・帰宅した。

眼底出血が通院のレ-ザ-治療(出血している毛細血管を

レ-ザ-で焼いて止血する)では治し切れないので手術と

なったようである。幸い手術も上手くやってもらい、術後の

経過もかなり良かった模様で、予定の10日を2日間短縮し

ての退院となった。

今回はいつもになく本人の機嫌がよく、病院でもいつも

笑って話していました。

    病は気から

と昔から云われていますが、回復も 気 によって

良い効果が有るようです。

痛みは自分持ちですが、ごくろうさまでした!!

一緒に帰ってきた 請求書 という紙に

びっくりするようね 数字が書かれていました。

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二高僧の御生涯をビジュアルで

2009/6/3

今日は間近に迫ってきた、親鸞聖人 と 法然上人 の

御生涯をビジュアルで見ることのできるものを紹介

いたします。

まず、我が(えらそ~)宗祖 親鸞聖人

毎年報恩講に寺の余間に 掛けられる 親鸞絵伝は

既にご存じだと思いますが、紹介するものは

立体親鸞聖人絵伝 というもので、なかなかリアルな

表情の人形で聖人の御一生を知らせてくれます。

人形と御旧跡の映像を取り混ぜて、DVDで見ることが

できます。まずは概要版をwebでお楽しみ下さい。

御旧跡にお参りされた方は、なつかしい場面が

登場しますよ。

http://blog.hongwan.net/misaki/?page_id=2

つぎは、親鸞聖人のお師匠さま 法然上人

同じ年に 御遠忌が厳修されます。800回忌です。

こちらはご一生を影絵で表現されています。

こちらは無料で、浄土宗のHPで視聴できます。

全24話の大作ですので、ごゆっくりお楽しみ下さい。

http://www.jodo.or.jp/honentomoiki/index.html

浄土宗index→特集→仏教影絵ばなし「法然さま」と

進んで下さい。パソコン音痴オジサンなので上手く

紹介ができないのですよ。スンマセン

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名指しの ご教化

2009/6/1

今日から衣替えであります。中学生の制服がパッっと

明るくなります。

法名を自分の俗名の1文字を入れて選定しない場合は

本山で大無量寿経の言葉の中からの 二文字

を使って決められる(大谷派の場合)

私の場合は 阿弥陀仏の建てられた 四十八願の

     第四十願

から、宝樹 と名付けていただいたそうである。

観無量寿経で釈尊の説かれる 第四の観 

     宝樹観

とも云える。この法名の宝樹について、雅楽について

教えていただいた、名古屋の A師 よりメ-ルで

特別にご教示をいただいた。教典を読むと この

宝樹は良いイメ-ジの記述ばかりですが。

樹・林 というのは 教えの中では 煩悩

を顕しているそうです。狭い空間を生きている

家族は その関係が深く・近いからこそお互いを

傷つけあうことが多いのですが、そこに

清風という 法の風 が吹き渡ることにより

宮商という隣り合った音が 和して

微妙音 と聞き取れるようになると云われます。

師は 清風 を 念仏による対話 と訳されました。

言葉を尽くす宗教である。とも 真宗のことを云われ

ています。

俗名を使用された方は、このような話し合いに

発展できないのが、ザンネンですね。もっとも

名付けの時点で 住職との対話の機会が

与えられるので、それはそれで有意義でもあります。

私の法名 宝樹 が 毎日お勤めする 御和讃に

二箇所出てきますので。その和讃をお勤めされる

時は思い出してください。

そうそう、私がハンドルネ-ムとして使用している、

破旬(大谷派の聖典では 波 と書いてある)ですが

故有って、読む事になった、親鸞聖人の書かれた

   一念多念文意

で見つけました。

「天魔波旬におかされず」

と悪者であります。和讃では

他化天の大魔王

というのが、この 波旬 のことであります。

私の場合は 水 より 硬い  が当たっているので

破旬 で良いのかも。

いずれにしろ、名前という物は それを付けたひとの

願いが表されているわけですので、その意をよくよく

思いながら 生きていたいものであります。

法名の無い方は 是非 生きている今 お受け

下さい。帰敬式を受けるといただけます。

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