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宗祖の呼び方考

2009/2/13

先日書き込んだ 宗祖・親鸞聖人を呼び捨ての可否に

ついて、我がブログでは珍しくたくさんのコメントを

いただきました。それぞれ考えさせられる内容のもの

でした。ありがとうございました

もとより、どう呼ぶかはその人の自由でありますので

私がとやかく言う筋合いではありません。また

本山も公式に意思表示をしては居ないと思われます。

ただただ 生理的に受け入れ難いだけなのです。

そもそも、ごく最近、西本願寺の蔵の中から

親鸞聖人のお連れ合いの 恵心尼さんのお手紙が

発見されるまでは、親鸞聖人自体の存在さえ怪しい

と云われていたと聞いたことがあります。

私のすきな 聖徳太子も同じようなことが言われて

居ます。私は学者ではありませんので。歴史上

の存在の可否はどうでもいいのです。

1200年 or 800年以上もお二人の残された

働きが脈々と生き伝え続けられていることが

重要で、有り難いことではないでしょうか?

法隆寺や橘寺、磯長(しなが)を訪れると聖徳太子を

感じる(思いこみ?)ことができるし、親鸞聖人の

旧跡を訪ね歩けば同行二人(これも思いこみ?)

を憶念させていただけます。

二年間、組の真宗入門講座「こころの元気塾」の

講師をお願いした、刈谷市の渡邉賢雄師は

「宗教的感性を磨きなさい」と言うことを再三

話されていました。

膨大な知識に埋没している智慧を見つける

感性を取り戻さないと・・・・・

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