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政友 と 法友

2008/11/6

先日、政治的に同じ考えを持っている友人の集まりに

名古屋まで行って来ました。ヨ-ロッパや豪州などでは

すでに、一定の政治勢力を持っている 

     みどりの党

(名称やレベルはそれぞれすが)の流れを日本でも

決起して作ろうと、頑張っている仲間です。

その東海ブロックの組織に私も参加させていただいていて

その会議と終了後の懇親会(意見交換をしながら飲む会)

に参加したわけである。会議会場から懇親会会場に向かう

途中、会の中心を担っていただいている、豊田市のKさんが

「碧南で アイデア一番 と名告っているお寺さんを知ってるか?」

と尋ねてきました。私はビックリして 

「それ、ワタシのことですよ!!でもお寺さんじゃないよ」

と答えましたが、話を聞いてみると、私のこのブログをたまに

読んでくれているとのこと、書いてあることが仏教のことばかりで

てっきり お寺さんだとおもったそうであります。

極たまに、政治のことや、環境のことも書いているのですが、

ほとんど仏教のことばかりなので、そう思われても仕方が

ありませんが、内容はド素人の領解で、専門家に読まれると

まずいな と思うこともしばしばなのですが・・・・

そのk氏は、徳川家康の有力な家臣で、真宗門徒であることから

十分な評価を受けられず、少禄に甘んじた、

    渡邉守綱

のファンで 守綱顕彰会 の会員でもある方でした。

政友 としてお付き合いして貰っていたのですが、

思わず 法友でもあることが判明いたしました。

真宗の根本聖典である

   大無量寿経

には、これからの政治の方向を示した言葉が

沢山説かれています。

兵戈無用  少欲知足  etc

いまの日本の政治家に一番欠けているのは

     宗教心

なのではないだろうか? ねえ 太郎くん 一郎くん

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

私は歴史的なことは全くと言っていいほどわかりませんが、友人に当時の歴史が大好きな人が居ます。
真宗の先輩たちのご信心を知るのも必要なことですね。
コメントを何回か読んで基礎知識の一つに加えさせてもらいます。有り難うございました。
一揆でいうと、どなたかが言ってみえましたが、家康の厳しい年貢の取り立てに我慢していた門徒さんたちも、
報恩講用にとわずかに蓄えたものまで取り上げられそうになって、堪忍袋の緒が切れた。と言われていたのを聞いたことがあります。真偽はわかりませんが、門徒さんたちが報恩講をいかに大切にしていたかを憶念させていただける、エピソ-ドであります。

投稿: 釈破旬 | 2008年11月11日 (火) 13時20分

早速のご返事を戴き有難うございました。三河門徒の地域でもこのようなことがあるのなら、知多の場合は当然と理解できました。
 さて、三河一向一揆と武士層のことですが、書名は忘れてしまいましたが、一向宗側に重臣が参加していたために、戦闘意欲が削がれたことや、叔父と甥の関係等で一揆を鎮圧するのに時間を労したような事が書かれていたように記憶しています。また、三河から若狭の国へ嫁入りした姫は、伴ってきた武士団の為に妙源寺という寺を建立したと言い伝えられています。(妙源寺は桑子の妙源寺と関係があるかもしれません。小浜の妙源寺は天保年間に住職義門という方が宣長と交流があり、現在の用言の活用表に近いものや、三内唇音の研究者として、その道では知られた人物です。例えば天皇ten-ouがテンノウに、三位sam-iがサンミ)。江戸時代ンと発音・表記していたのに親鸞は「信心」のルビに「ンとム」を使い分け、しかも一箇所も間違いが無いのはなぜかということから研究が始まったいわれています。)少々長くなりましたが、三河門徒には武士層の信者も多いのかも知れないということを伝えたかったのです。その方が現在も真宗門徒であることは、一向一揆後もご先祖が信心を貫き通したのであり誇りに思うことだと思います。多くの武士団は説得に応じて宗旨変えをしました。私の先祖も石山合戦の折に駆けつけた者であると言い伝えがあります。確かな証拠はありませんが、私は密かに誇りに思っています。

投稿: jun | 2008年11月11日 (火) 11時41分

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