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今、生きている有り難さ

2008/11/13

昨日は我が師である A師の寺の報恩講にお参りさせて

いただいた。今回が連続3回目であるが、介護している

母親をディ-サ-ビスに送り出して、少し工場の仕事を

すませてからの参拝となったので、午後の御満座のみの

お参りとなってしまった。法話をされた父上の前住職からは

報恩講を一日参る人は一人前、半日の人は半人前と

言われてしまったが、これも仕方のないことで、連れ合いと

二人でお参りしたので、二人分をたして やっと一人前と

いうことでしょう。

このお父上は、手次の寺の報恩講の最終日(御満座)の

法話の講師でもありますので、もう何回もお話をお聞き

しています。毎回必ず言われることは、一番身近に居る人

を尊敬して暮らしなさいと言うことである。なんべん聞いても

そのときはなるほど、そうですね!と聞かせていただいて

いますが、全く実行されないので、いつ聞いてもウ--ン

とうなるばかりです。

今回は いまアンタが生きていることは、その身近なひとに

常々どれだけ辛抱して貰っているかと言うことですよ!!

と言われた。確かに最近、親が子を、子が親を、妻が夫を

夫が妻を・・・・・・などという事件が次から次へと報道されます。

特別な事件でも何でもないことなのでしょう。と言うことは

その身近な人が辛抱できずに事件を起こした犯人のような

行動に出たとすれば、私の命はもう無かったかも知れません。

辛抱したもらって、まだ生かせていただいていると思えば

有り難い事でありました。

その犯人予備軍の連れ合いも盛んに 頷いて聞いていましたが

果たした私と同じことを感じていたのやら???

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コメント

昨日お参りした寺の住職が最後の挨拶で
「三日間の報恩講にお参り有り難うございました、
明日から来年の報恩講に向けて準備を始めます・・・」
と言われていました。真宗寺院の一年はすべて報恩講を勤めるためにあるようです。
40年とはずいぶんご無沙汰されていますね。現在本山の報恩講が厳修されていますが、私が最初にお参りに行ったころ(25年ほど前)に比べるとずいぶん人出が減ったように思います。今日私と連れ合いは鈍行に乗り継いでお参りさせてもらいます。
 これからが愛知県の真宗寺院の報恩講のシ-ズンです
いつか、どこかでご都合をつけてお参りできるといいですね。お斎の座にも着きましょう、大根も美味しい季節です。

投稿: 釈破旬 | 2008年11月25日 (火) 03時08分

報恩講にお参りするのに1日も半日も区別がないと思います。換言すると報恩講にお参りしようと思い立ったその時が大事であり、お参りしていた時間の長短ではないと思います。私のように勤務地と自宅が30キロ近く離れている老人にとってはうらやましい環境です。近くに真宗寺院まなく、また信頼できる住職も知りませんので、報恩講には四〇数年お参りしたことがありません。うらやましい限りです。

投稿: jun | 2008年11月21日 (金) 16時26分

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