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一億五百万台

2008/10/23

いろいろ書きたいことはあるのですが、今日は

    携帯電話mobilephone

についてです。今では希少民族となりました

不携帯国民の二人が我が家にいます。

タイトルの 一億五百万台というのは、日本国内で

契約されている、携帯電話の台数です。

すごいものですね。

2005年の統計で日本の人口は127788743 

とのことですので。携帯電話を持っていない国民は

たったの220万人ということになります。もっとも

一人で2台持っている我が家の娘たちのような

人もいるので。も少し増えるかな?

その化石人間の我夫婦、家に常にいるので

あまり不自由はしていないのですが、最近外に出ると

公衆電話が姿を消して、不便なのです。telephoneナシ

家人も私が外へ出ると、連絡はつかないもの諦めて

いるのでどうにかなっているようです。

電車に乗ると、多くの人が携帯電話と にらめっこ

をされていますが、本くらい読んだらどうだろう?

と思います。少なくとも子ども連れの父母が子どもを

ほったらかしにして、携帯三昧の姿はいただけませんネ

人口が出てきたついでに、日本の宗教人口ですが

平成17年12月31日現在宗教統計資料 

 総     数 211,020,747人

     (内 訳)  神  道  系 107,247,552
            仏  教  系  91,260,273
            キリスト教系   2,595,397
            諸  宗  教   9,917,555

だそうです。どれもかなりさば読んでいるみたいですね。

特に 神道系 は総人口に近いですが、人口は生まれた

ばかりの赤ちゃんまで入るので、住んでいれば氏子に

されているようです。

神社というものにはほとんど行かないのですが、先日

村の鎮守の祭礼のパレ-ドの交通整理をしたとき

交通指導員もお祓いをしてあげるといわれるので

一人だけ断ることもできず、お祓いをしてもらいました。

これでめでたく、神道の信者でしょうか。

もっとも かしこみかしこみものもうす と言われたとき

小声で 「ナンマンダブ」といっていましたが・・・・・

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ご指摘有り難うございます
言い訳じみたコメントになりますが
確かに神道のお祓い、清めはそうですね
特に死を穢れと見ることは真宗門徒とは180度違いますので、とうてい受け入れることはできません。
しかし、伊勢神宮など神道の本山的なところに行くと
すがすがしいところであり、ゴミ一つ落ちてなくキレイですよね、そもそも神体自体を自然のものに定めて、
それを汚さないことを今まで勤めて来られたことに敬意を表さざるをえません。そんな意味での書き込みだったこととご理解下さい。自分から進んでそんなところに足を運ぶことはありませんが、お義理で訪れてもいろいろ得るところはあるものだと、感心しているのです。

投稿: 釈破旬 | 2008年11月27日 (木) 19時20分

生意気を言ってすいません。投稿をためらいましたが、「あなたより年配者」の独り言と受け取って下さい。

私には神道の「清め」や「お祓い」が環境対策に繋がっていくとは思われません。「穢れ」の多くは、対象が人間です。自然環境が穢れたとは捉えないのが普通ではないでしょうか。そのことは具体的には穢れをヒトカタなどに移し、それを川に流すことで浄化する水無月祓えなどに現れています。「お札」の有効期限も1年、「穢れたお札」を「新しいお札に」交換し、そこには再利用の精神はありません。春が循環するように、単年度で全てが生まれ変わります。すべて水に流せば浄化されるというのが、『ユダヤ人の思想』にも書かれていた日本人の血に流れている思想です。海はたまったものではありません。人間としての業(ゴウ)がお祓いで払拭することができるとは思われません。

投稿: jun | 2008年11月27日 (木) 11時21分

生意気を言ってすいません。投稿をためらいましたが、「あなたより年配者」の独り言と受け取って下さい。

私には神道の「清め」や「お祓い」が環境対策に繋がっていくとは思われません。「穢れ」の多くは、対象が人間です。自然環境が穢れたとは捉えないのが普通ではないでしょうか。そのことは具体的には穢れをヒトカタなどに移し、それを川に流すことで浄化する水無月祓えなどに現れています。「お札」の有効期限も1年、「穢れたお札」を「新しいお札に」交換し、そこには再利用の精神はありません。春が循環するように、単年度で全てが生まれ変わります。すべて水に流せば浄化されるというのが、『ユダヤ人の思想』にも書かれていた日本人の血に流れている思想です。海はたまったものではありません。人間としての業(ゴウ)がお祓いで払拭することができるとは思われません。

投稿: jun | 2008年11月27日 (木) 11時20分

神道を敵視しているわけではないのです。以前はどうも許せんと思っていたのですが、最近の環境悪化を考えると神道の お祓い とか 清め などは環境対策には
いいことだと思えるようになりました。 日本人が本当に神道ならば、海や川、大気を汚すようなことはしないでしょうね。
門徒もの知らず(門徒もの忌まず)といわれていた門徒にもどることは難しいですね。
100年以上かかって私たち真宗門徒も宗教感を麻痺させてしまいましたので、相当意識して100年かけて
戻さないとできないでしょうね。
これ以上悪くならないように、できることをコツコツと
やって行きましょう。junさんの努力に敬意を表します。

投稿: 釈破旬 | 2008年11月21日 (金) 15時33分

伊勢神宮のお札の件、アドバイスありがとうございました。
 知多市では、町内会の役員の一人が市から駐在員に任命されます。駐在員とは市の条例でどのように定義されているか、市役所にメールを送り尋ねたところ「非常勤の特別職」であるとの回答があり、何度か質問・疑問点を正しました。来年度からは駐在員は公務員の倫理規定に則った行動をするように教育することで決着しましたのでご報告申し上げます。つまり、立場を利用した一宗教の便宜をはかる行為は好ましいことではないことを含め、委嘱式の際、教育することが市の担当者と合意に至りました。

投稿: jun | 2008年11月20日 (木) 11時20分

junさんこんばんは
主を讃え、仏に暮れて、神で明け
という言葉を面白く聞かせていただきました。
来月のたった一週間あまりの日にちで、めまぐるしく
変わる日本人の大多数の宗教感を上手いこと言い表している言葉だと思います。これは西本願寺のラジオ法話
「みほとけとともに」の今年10月の放送で大阪の小林顕英さんというお寺さんの「ともに居ますを佛という」というお話にあった言葉です。http://www2.hongwanji.or.jp/dendou/
junさんの言われるようなことが日本中の現状であると思います。現に今私の町内会でも 交通安全のお守護
といつて、熊野神社の交通安全のご祈祷(2千円)が
廻ってきていますし、来月には大祓といって、人形の紙を封筒に入れ、一枚ごとに家族名を全部書いて一人いくらかの祈祷料を払うようにと言ってきます。私は交通安全も大祓もお願いしたことはありません。うちは真宗門徒なのでと言うことでお断りしているのですが、毎年お集めをする人が変わりますので、除外して暮れることはありません。真宗門徒は神祇不拝なのです、ということがドンドン曖昧になっているように思えます。日本で一番メジャ-な真宗門徒が親鸞聖人の和讃の

かなしきかなや道俗の
良時吉日えらばしめ
天神地祇をあがめつつ
卜占祭祀つとめとす

をいただき直す必要がありますね。残念ながらこの和讃
お勤めの本のここにも載っていません。
身近なところから 神祇不拝を広めて行くしかないですね。神社の係の人から何か言われたら、お手次の寺に
神祇不拝を説明していただくのも、広げる一つの方便かもしれませんね門徒の場合は・・・・
ちゃんと答えになっていなくてすみません・・破旬

投稿: 釈破旬 | 2008年11月10日 (月) 22時32分

早速ご報告申し上げます。
 今年は町内会の班長が26年ぶりに回って来ました。先日の金曜日に夕刊を取りに行ったところ、回覧板の原稿がありました。その内容は山を越えた旧来からの土地の氏子総代人からの回覧要請でした。内容は氏子に対する祭礼に対する謝礼と「伊勢神宮のお札」の頒布の案内でした。町内会長に早速「私や妻は少なくとも氏子になりたいと思ったことは一度も無い。町内回覧板とお札の頒布の案内はそぐわない。私は不快に感じている。」と電話で抗議しましたが、「これはお付き合いである。昨年行っていることである」との返事で、問題意識を持ち合わせていない返答でした。回覧してほしいということが持ち込まれたら、回覧して問題が無いかどうかを一件一件市に問い合わせているとのことを妻に言ってきたようです。当地は廃仏棄釈で一部の寺院が破壊された、平田神道の信奉者がいたところです。市のリードで本町内会は発足したものであり、町内会の役員の一人が、駐在員として市の嘱託職員に任命される制度を知多市は採用しています。
来年度から回覧を止めさせる良い手立ては無いでしょうか。ちなみに町内会長は「家の宗教は浄土宗である。常滑市の○○の出身である」。「その地区には浄土宗西山派がありますが、そこの檀家ですか。」「いや大谷派です」「それでは宗祖は親鸞です。お寺に神社が祭られていますか」「親鸞は神仏を分離していますよ」程度のやりとりでした。

投稿: jun | 2008年11月10日 (月) 16時39分

神棚を燃やしたとは思い切ったことをしましたね。我が生家には神棚は無かったですが、妻は神棚がある家で、今の我が家の離れ(義母を将来引き取るために義父が建てたもの)には仏壇のスペースの上に、神棚スペースが存在しています。私は神棚は将来に渡って置かない心算ですが、妻に押し切られる不安も多少あります。現在でも正月には注連縄を掛けるのは男の仕事だとしつこく言われ続け、根負けしています。ほとほと地方や家庭によってこんなに生活習慣が異なり、寺院の儀式作法が異なることを思い知らされています。私の生まれた地方では「御文」は参拝者に向かって音読するものだと思っておりましたが、常滑では参拝者に背を向けて、お経の続きをするものだと知りました。また読み上げている時は、年寄りが頭を上げるまで下げ続ける習慣でしたが、頭を下げたのは私だけでした。

投稿: jun | 2008年11月 4日 (火) 11時09分

外国に入国するとき
「貴方の宗教は何ですか?」と尋ねられて困る日本人の話をよく聞きます。
以前、神棚が真宗門徒の家には明治以前は無かったということを聞いて。迷わず降ろし、燃やしてしまったことがあります。この話をすると、一緒に真宗の勉強をしている仲間でもビックリします。それ以来神社には義理で
行かざるを得ないとき以外は足を踏み入れたことがありません。曇鸞大師が仙教を焼き捨てたと正信偈に書かれていますが、それを読んでも私にとって神棚は仙教と同じで、中途半端に拝まなければ置いておいていい物ではありません。もっとも親が家にいなかったので反対する人が居なくてできたのでしょう。

投稿: 釈破旬 | 2008年11月 3日 (月) 21時11分

確かに宗教統計資料の数値は、現実の信者数を反映していない架空の数値と思うのが普通だと思います。日本人の宗教観を反映したものと身勝手な説明は許されるものではありません。十数年前までは、家庭調査の申告書に宗教を記入させていましたが、「神道」と記入した家庭は、限りなく0に近かったと記憶しています。
 何故こんな数値になったのだろうか。戦前の国家神道の名残り、無反省の思い上がりの結果ではないでしょうか。愛知県民ならば、愛知護国神社の信者ということでしょう。アナタも私も統計上では神道の信者として扱われているということでしょう。

投稿: jun | 2008年10月29日 (水) 10時28分

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