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非公開通夜 + 公開通夜

2008/8/26

昨日の 住職寺族研修会 について続報

そもそも、浄土真宗の場合、寺族と在家を分ける意味が

無いような気もするのですが、一応プロフェッショナルのお寺さん

に対しての研修でした。

いま、葬儀屋さん主導の通夜・葬儀を見ていると喪主や家族

の皆さんの忙しさは、尋常ではありません。亡くなる前なら

何かすれば生命を長引かせることはできるかも知れませんが、

すでに亡くなったのですから、あたふたする必要はありません。

通夜や葬儀にお参りしてくれるひとの都合を考えて、悲しむ間も

無いのが現状です。

以前、静岡県の友人が亡くなったので、友達3人で葬儀にお参り

したことがあります、すでに荼毘に付された後で、亡き友人には会えません

でしたが、残された奥さんや子供さんとゆっくり思い出を話会う

ことができました。そんなお葬式もある意味でいいものです。

話が大幅にそれましたが、研修会です。

講師の二階堂さんのお寺では、東京という地域の事情もあるのですが

葬儀よりお通夜 だそうです。そのお通夜も「白骨のお文」を拝読

しても、涙する人が居ないとか。そんな中で、お通夜を二段階に

分けて勤めるそうです。第一部はお義理でお参りする人を入れず

家族と親しい人だけで、一緒にお勤めをして、法話を聞いて貰うそうです。

第2部は亡き人に面識の無いような人もお参りできる公開通夜を

勤めるそうです。

フロア-から「そんな時間がありません」という意見が出ましたが。

通常の通夜時間の一時間前に 第一部を開始するのだそうです。

なるほど、家族はその日は仕事は FREE でしたね。

最近の葬儀はオカシイとは思いますが、嘆いてばかり居ないで

一工夫で本来の通夜・葬儀を少しだけ取り戻せるのでは

無いでしょうか。

この地方では以前、通夜には お棺を囲んで大きな数珠を

みんなで回す「百万遍」が定番でした。数珠を回しながら

亡き人のエピソ-ドを話し合ったものです。最近

会館での通夜になってからは、全く見なくなりました。

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コメント

確か和讃に「釈迦ムニ佛の如くにて」というのがありましたね。仏には過去佛・未来佛というのがあると記憶しています。釈迦以前にも仏になった人物、未来に仏になることが確約されている菩薩です。弥勒菩薩は未来佛の代表です。過去佛は13でしたか、そのあたりの記憶は定かではありません。真宗寺院には仏教を確立した釈迦像が無いことに対し、他宗から批判されたという事は亡父から聞いています。
また、真宗寺院には涅槃図は伝来されていません。愛知県は真宗の中に、他宗派のものを持ち込むことが明治からこの方、多いということも父から聞きました。お盆だけが記憶に残っています。彼岸・○○回忌もそうだったかな。全国に影響を与えた実績がありますからね。

投稿: jun | 2008年11月 4日 (火) 11時37分

junさん
阿弥陀さんと釈尊の関係が今ひとつ腹に落ちていない
私ですので、十分その西尾の住職(大谷派)さんの意図が書けていなかったと思います。涅槃図の釈尊の周りに
描かれている沙羅双樹や集まってきている人や動物のことを絡めてお話をされるのではないかと思います。
一度模擬通夜をしようと云われているのですが、まだ実現していません、もし実行されたら再度ブログに書くようにいたします。私自身が弥陀一仏に帰依できていないことが露呈してしまいました。極難信の法ですね

投稿: 釈破旬 | 2008年11月 3日 (月) 20時57分

いつも心温まる話題を提供していただきありがとうございます。
西尾の住職さんの件で腑に落ちない点がありますので、意見を述べさせていただきます。この寺が禅宗等なら納得できるのですが。今は真宗寺院と勝手に判断させて頂きます。極楽往生が決定している死者、涅槃図の取り合わせがしっくりしません。理論的には「釈迦ムニ佛」に死者をダブらせていることになるかもしれませんが。しかし、釈迦は善根者であり、修行をした自力道の仏であり、阿弥陀一仏に帰依する親鸞の教えと矛盾するのではないかという疑問です。死者を中心に車座で亡き人を偲ぶという発想はすばらしいが、なぜその席に涅槃図が必要なのか私には理解できません。なぜ阿弥陀の絵像を架けないのかが腑に落ちない点です。

投稿: jun | 2008年10月30日 (木) 15時53分

jun さん
いろいろ教えていただきありがとうございますした。
真宗の門徒の葬儀でありながら、名号が中心にないと
指摘されてしまいましたが、わが町ではセレモニ-ホ-ルでも、名号軸を真中に掛けるようになりました。
これは組内の寺院が葬儀屋さんと交渉してそうなったようです、でも名号軸を寺から借りて来るということは
聞いたことがありませんね。三重県のほうではそういった地域もあると聞いたことがあります。
知り合いの西尾の住職は 通夜にお棺を部屋の中心に置きみんなで囲んで、涅槃図の掛け軸を掛け、通夜説法をするという通夜を進めています。
いずれにしろ、生前に自分の葬儀をどういった形式で
進めてもらうか、書き物に残しておいたほうがよさそうですね。私も文書化して置きたいと思います。
 密葬というのは非公開通夜や葬儀のことだったんですね。思い切り人目を気にせずに泣ける場所が必要ですよね。勉強になりました。感謝

投稿: 釈破旬 | 2008年10月20日 (月) 23時11分

「非公開通夜と公開通夜」について、
私の生地(北海道)では、道南から道央にかけては遺体で通夜をいたしますが、道東ではお骨にしてから通夜をします。知多半島の常滑も同じようにお骨にします。
非公開か公開かについては、各家庭が選択することになります。法人関係の場合は密葬として極親しい近親者のみで通夜・葬儀を行い、数日後に会社葬・寺院葬をお骨の状態で執り行います。この場合は新聞等で密葬で行うことを知らせます。また、家庭によっては密葬のみで済ますこともあります。
 北海道と知多半島の葬儀の違いは、愛知県は真宗の檀家でありながら阿弥陀さんが正面にないこと。遺族が本堂から外の参拝者に顔を向けていることです。これはカルチャショックに近いものがありました。死者を悼む気持ちよりも、遺族の世間との付き合いが露骨に表れている感を持ちました。旭川では、お寺から阿弥陀さんの絵像を借りる場合、首にぶら下げて自宅に運ぶそうです。

投稿: jun | 2008年9月 4日 (木) 11時30分

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