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仏法をわかったと言うことは、恥をかいたこと

2007/11/20

先日の渡邉晃純さんの話しで、もう二つ、なるほどと思ったこと。

晃純、尚子両師の結婚式で 仲人の恩師のお祝いの言葉は

「結婚すると云うことは、世の中に自分の思うと通りにならない

人が居ると云うことが、解るということだ」だったそうであります。

ホント 事実であります。!!!

もう一つ

「法話を聞いて、解ったと言うことは 恥をかいたと云うこと」

つまり自分の凡夫であるということが知らされると言うことなので

せう。極めつきの凡夫の私は、一瞬気がつくのですが、またすぐ

その気づきを忘れてしまいます。

だから、聴き続けなければならないのでしょうね。

あまり聞かない、連れ合いは 凡夫 ではないのかも???

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