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食堂に一礼してます???

2007/9/28

今日は28日ですね。親鸞聖人の月命日です。

安専寺では「おはちんち」と呼んで、毎月命日の

法要が行われています。3人の講師に交代でお勤め

のあとに法話をしていただき、みんなでお斎をいただきます。

平日に当たることが多く、零細鉄工業の私はなかなか

おまいりできません。代わりに連れ合いがお給仕などの

お手伝いに参加させていただいています。

本日の法話は安城・根崎のお寺の若院さん 鈴木知見師

お話の内容は本山の同朋会館では奉仕団の方々に本堂、

講堂、食堂など、堂の付くところには入出時に頭礼(ずらい)

しなさいと教えています。本堂は阿弥陀様や御真影などが

あるので頭を下げて入出しなければならないことは頷けますが

食堂に何故??というお話だったとか(連れ合い談)

講師の鈴木さんは先輩に尋ね、納得したとか。

どんな理由かは鈴木さんお話さず、だったそうです。

一度私もお尋ねしたいと思いますが。答えは親鸞和讃に

     七宝講堂道場樹

     方便化身の浄土なり

     十方来生きわもなし

     講堂道場禮すべし

とあります。堂という文字の付くところは

浄土を表しているので、礼をしなさいと

言うことでは無いかと、ひとり納得している

のですが、いかがでしょう。??

和讃は短いのがなによりいいですね!!!

一度 安専寺 の おはちんち にお参りください

ほぼ毎月 28日の朝7時半~ お斎は500円要

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コメント

jun さん
さりげなく厳しいご指摘ありがとうございます。
素人が取り得の小生もいつしか専門家もどきに
なっていることがしばしばで、イカンナ-と
思うことがあります。
確かに食べ物を感謝していただくことは、別に難しいことを考える必要は無いかもしれませんね。
私も母親が百姓なので、特にお米に対しては厳しく
教えられました、以前 永六輔さんが「床に落ちた米粒をどう処理するかで、年代が判る」と言われていました。私はもちろんすぐ口に運びます、年代はずっと若い
私の長女も教えたわけではないのに拾ってたべていることがあります。不思議なことです。
最近、友人と田んぼをやっていて、田植え、田の草取り
施肥などを手作業でしています、稲刈りだけは機械のお世話になりますがネ、実際やってみると私たちが敵視して取り除く雑草を稲は嫌わずに仲良く生きていますし。
稲の生長に人間のできることは少しで、ほとんど田んぼの力や、おひさま、山からの水の力であることがわかります。お百姓さんだけでなく大自然に感謝せざるを得ませんね。
これからも 気が付いたらドンドン軌道修正お願いします。      不良壮年 破旬

投稿: 釈 | 2008年10月20日 (月) 15時35分

専門家は色んな所に典拠・依拠するものですね。門外漢には、わかりません。食堂に存在する食べ物は、多くの人の労働が背後にあります。そのご苦労を戴くという気持ちが大切だと思います。子供の頃食べ残しがあるとこっぴどく親にしかられたものです。お百姓さんの気持ちを大切にする心が育てられたものです。禅宗ではジキドウとして修行の場でもある。そんなことを考えました。

投稿: jun | 2008年10月 6日 (月) 14時29分

専門家は色んな所に典拠・依拠するものですね。門外漢には、わかりません。食堂に存在する食べ物は、多くの人の労働が背後にあります。そのご苦労を戴くという気持ちが大切だと思います。子供の頃食べ残しがあるとこっぴどく親にしかられたものです。お百姓さんの気持ちを大切にする心が育てられたものです。禅宗ではジキドウとして修行の場でもある。そんなことを考えました。

投稿: jun | 2008年10月 6日 (月) 14時28分

 はじめまして。私も、おはちんち(28日)の法座におりましたので、少し補足させていただきます。
 講師が以前、同朋会館に補導で行った時に、ちょうど遷座法要(御影堂修復のため、宗祖の御真影を阿弥陀堂にお移しする法要)の後だったそうです。その頃、補導仲間で話題になったことがあるそうです。
 ご承知のように同朋会館では、両堂(御影堂・阿弥陀堂)その他、講堂、食堂など、およそ「堂」のつくところに出入りする際は、頭礼(ずらい)をするように教わるのですが、宗祖の御真影のおられなくなった御影堂に頭礼をすべきかどうか、補導仲間で議論になったそうです。その時はいろいろな見解があったようで、曖昧なままだったそうです。 それで、講師は信頼する先輩に、その件について尋ねたら、先輩の曰く「頭礼は、僧伽(サンガ=教えを聞くお仲間)のいるところに対してするんだよ」との明解な返事があって、講師はとても納得がいったそうです。
 堂のつくところでなぜ?という理由は、きちんとおっしゃっておられましたので、補足しておきます。

 親鸞聖人のご和讃に、その理由を聞きとったのは、やはり毎日おつとめして聴聞しているからでしょうね。感心しきりです。
 長いコメントになってしまって、ごめんなさい。

投稿: えんちぼう | 2007年9月30日 (日) 17時42分

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